No.41

お兄ちゃん

兄が怪我をした。
仕事中に脚立から落ちて右手首を複雑骨折、当面仕事はできないし車の運転も無理。
先生の説明を一緒に聞きながら自営業で畳とクロスの張替えをしている兄は、隣でしょんぼりして肩を落とす。


兄は私と違って控え目で我慢強く優しくて人のことを悪く言うこともしない人だ。
しかしこれは見方によっては、頼りなくて何を考えているかわからない意志のない弱い人に見えてしまう。
私は人生の大半の期間、兄を後者のように見ていた。


兄は20代後半にも大きな手術をしている。
脳の血管に先天性の奇形が見つかり17時間にも及ぶ大手術をした。結果は成功だったものの顔の右半分に麻痺が残った。術後に先生から説明はされたが顔面麻痺という症状の想像ができていなかった私は、食事中にご飯粒を口に付けている兄に
「ご飯粒ついとうよ」と、まったくだらしがない!という思いを込めて伝えた。その度に兄は
「あ、ごめん」と謝る。

ご飯粒だけではない。顔が麻痺するとヨダレが出ているのも鼻水がでているのもわからないのだ。

頼りない兄がますます情けない人に見えてくる。


こんな風だから私は兄を敬わないし兄も私を遠ざける。同じ家に住んでいても挨拶程度の会話しかない。
自分が箱に入っていることはわかっていたが、特に問題が起こっているわけでもないから当たらず触らず放っておいた。


4年ほど前のある日、リフォームの会社を経営しているクライアントさんが畳の張替え業者を探していたので、兄を連れて会いに行った。

そして早々に後悔した。
対照的な二人。
自信満々で景気の良い話をする社長、
それをうつむき加減で「あぁ、そうですか」と小さな声で相槌を入れる兄。



しっかりしてよ!
私が恥ずかしいやない!!
もっと大きい声でしゃべりぃよ!


イライラしながらその様子を見ていた。

兄は相手の話を疑いもなく聞いて反撃しない。聞かれたことに事実そのままを答える。脚色もしないし膨らませたりもしない。

時間が経つにつれて二人の印象がだんだん違って見えてきた。


しばらくすると社長の大きな声が止まった。
それと同時に私の苛立ちも止まった。



私はやっと自分の恥ずかしさに気付いた。



兄は小さい頃からずっと優しかった。幼稚園の頃お小遣いを握りしめて駄菓子屋へ向かう途中、転んでお金をなくしてしまい号泣する私を駄菓子屋まで連れて行き「好きなの買っていいよ」と自分の100円玉を私の手の平にのせてくれた。

顔が麻痺した時も誰のせいにもしなかった。先生に怒りをぶつけたり親を怨むこともできたかもしれないのに誰も責めなかった。このことで泣き言を聞いたことも一度もない。兄はいつも黙って耐えていた。

辛かったろうと思う。外で恥ずかしい思いをしたこともあったはずだ。
私がきつく注意した時「感覚がないっちゃん」と言ったことがあった。その悲しみは私には言い訳にしか聞こえていなかった。

なんと残酷な仕打ちだったろう。


こんなに傷つけてこれほど時間をかけなければ本来の兄の姿に目を向けることができなかった。本当の人の強さとは表面上見えたり聞こえたりするものではなく、内側にあるものなんだと思い知った。


それから毎日、箱の外で兄に接する。しかし、こっちが箱から出たからといって「はいそうですか」と相手が変わるとは限らない。ぎこちない日々が続く。何かをしても喜んでいるのかどうなのか、ちっともわからない反応で会話も相変わらず単語で終わる。
でも気にならなかった。これまで自分がしてきたことを思えば当然のことだと受け止められたし、そもそも相手は箱の外とか中とか関係なくいつものように日常を生きているだけなのだ。


そんなことからの今回の入院。1時間か1時間半くらいと聞いていた手術は2時間たっても終わらない。暗い廊下の扉の前で不安で心配で涙が溢れる。
ふさいでいる兄に何かできることはないかと毎日病院へ通う。何か欲しいものはあるかとメールすると「水と板チョコ」と返ってきた。

売店あるやろ!?
怪我したの手やし、歩いて行けるやん。

とか一瞬思うが何だか嬉しい。きっと今までだと言わなかったと思う。「何もいらない」と返してきたと思う。4年かかってようやく少しだけ頼ってくれるようになった。人の心が溶けていくのにはこんなに時間がかかるのかと圧倒され、また自分の罪深さに気付く。



リフォーム会社の社長に会った帰り道、お兄ちゃんは洋菓子屋さんに寄って「好きなの買っていいよ」とケーキを買ってくれた。

こんな幸せな出来事、もう二度と忘れるもんか。