No.44

10年箱

恐らく今世ではもう二度と会うことはないし、できることなら地球からいなくなって欲しいと願っている相手がいた。
10年以上箱に入り続け恨んだり憎んだり、箱の中のあらゆる感情を持ち続けてきた。


福岡は小さな街だから顔も見たくないと思っていても、ばったり出会ってしまうことがある。
この10年間で三度すれ違った。
1回目は結構な至近距離で、でも人通りも多かったし知らんぷりして通り過ぎるのは当然のことで、そうしたのにこれまでの仕打ちを思い出して怒りが湧いてきた。
2回目は私が渡ろうとする横断歩道の向こう側にいた。私は違う方向に道を渡って相手を避けた。そしてまた過去を思い返して怒りが吹き出す。
3回目は地下街の広い通路。正面から歩いてきた相手を通路の反対側の端によけてやり過ごした。見るだけでもやっぱり気分が悪い。


出会わなくてもうまくいかない事があるとその度に思い出して、「アイツのせいで上手く行かない」とその人のせいにして納得した。腹が立って眠れない夜もあったし、あまりの苛立ちに涙が止まらないこともあった。
これは自分が箱に入っている状態なんだとわかっていたが、やめられなかった。



そしてつい先日、友達と食事に向かっていたら前から歩いてくるのが見えた。普段なら人通りの多い歩道なのに外出自粛の影響で誰もいない。
距離は8mくらい。双方歩いているから相手がぐんぐん近づいてくる。これは向こうも気付かないわけはない。よける場所も隠れるところもない。



どうする?



どうする?!



どうする??



緊張しすぎて、まだ声をかけるには早いくらいの距離で私は
「〇〇さん、お久しぶりです!」と手を振りながら声を出していた。




少し微笑みながら相手は
「誰やったかいな」と答えた。




私はすごくこの人を許せなかったけど相手はそうでもなかったんだなと知って、なんだかホッとした。忘れられていたことには何も感じなかった。二言三言話してその場を離れた。



この10年間何度も箱から出ようとしたが、考えれば考える程やっぱり自分が正しくて被害者なんだという結論に達した。
でもいつかは出たいと思い続けてきた。好きになれなくても楽しい会話などしなくても、相手を憎んだり責めたりする気持から解放されるといいなと、ずっと思っていた。
ここ何年かはそんな怒りの感情も薄れていて、今度出会ったら声をかけようと決めていた。それができた時はきっと感動的な何かがあるんじゃないかと期待もしていたし、10年越えのネタだから、すごくドラマチックな長編メルマガが書けると楽しみにしていた。


でも結果はあっけないもので、特に琴線に触れるものもなかったからメルマガもこんなものしか書けない。何でこれくらいのことができなかったんだろうと今となっては不思議なくらいだ。前はあんなにくっきりしていた怒りも形を成さなくなり、私が箱に入っていた事実以外は何もなかったんじゃないかとすら思える。

こうして時が経ち私も忘れていくのだろうと思う。